虎造の源流 虎造に影響を与えた 6人の名人芸
三代神田伯山 清水次郎長伝 お蝶の焼香場 M-7(30:56)
虎造がその芸に惚れ込み、次郎長伝を我が演目とすべく、伯山の出演する寄席を掛持ちして聴き込んだ名人芸。
三代神田伯山とは・・・
本名岸田 福松。
明治5年東京京橋の花屋に生れる。
明治16年、二代神田伯山に入門し、神田松山と名乗る。
明治28年、神田小伯山と改名し、真打昇進。
明治37年、師から名を生前贈与され三代神田伯山を襲名。
伯山が出演する寄席では大入りの満員となった。
反面、その周辺(八丁)の寄席は皆、客を取られてしまうので「八丁荒し」の異名を取るほどの人気者であった。また「清水次郎長伝」を最大の売り物としため三代目は「次郎長伯山」との異名がある。
伯山の「次郎長伝」は講釈師松廼家京伝からではなく、天田愚庵の「東海遊侠伝」を参照するものであった。その伯山の演じた「次郎長伝」をベースに虎造が浪曲化している。昭和7年1月、胃潰瘍のため死去。