虎造の源流 虎造に影響を与えた 6人の名人芸

東家小楽燕 荒木奉書試合 M-4(13:02)

明治末期から大正期にかけての寄席読みの名人。虎造が素人時代に名乗った 芸名「東川春燕」は東家小楽燕をモチーフにしたといわれている。重松の次に弟子入りを志願した浪曲師。

初代東家小楽燕とは・・・

初代東家小楽燕は群馬県桐生市に生まれ、本名窪塚道太郎。上州祭文を子守唄のように聴いて育った。

少年時代より天狗連で浪花節に打ち込み、プロになるべく上京し、初代東家楽遊門下の花遊の弟子となる。芸名を東家華燕と名乗ったが、師匠である花遊が亡くなり、楽燕の許しを得て大正7年、小楽燕と改名。

大きな体から発せられるその美声は、節の語尾をウイウイというので、「ウイウイ節の小楽燕」としてその名を馳せる。

「寛永三馬術」「塩原多助」「宇都宮釣天井」「祐天吉松」「柳生二蓋笠」などの演目を持ち、寄席読みの名人として虎造お気に入りの浪花節のひとりであった。